わけもわからぬのですよ

ハロー

33歳になってます。

なってしまいました。

高校生の頃から続けていたブログも中年男性のものになり、何かを考えること、考えをまとめて置こうとすることが少なくなってきましたね。

今日の横浜市は晴れ。心地よい秋晴れですが夜は冷えるでしょう。

上着などで調節してお過ごしください。

 

いにしえのiPhoneを復元したんだ。

きっと10年近く前のやつ。

10年前の私は年下の彼女がいた。

18歳の彼女。親公認。

彼女は今ではシングルマザーらしい。

私は今でもシングルベル

くだらないプライドばかりが身について保身ばかりが上手になった。

 

今思えばあの頃はこんな幸せがずっと続くわけが無いと思って過ごしていたけれどやはりその通りで、泡のように消えた。

 

若かった頃に浪費した時間が。

今になって見れば時間だけは有ったのに何もしない日々が。

生産性の無い趣味に費やした時間が愛おしい。

 

セフレ以上に慣れやしない関係に偽りの言葉を並べて時間を消費したり、新鮮さを求めてインスタントな関係を探したり。

若さが武器だったね。

割りと服装には拘っていたし、多趣味で話しもそこまで下手ではなかった。

そういった繰り返しの中からでも本物を見つけていれば、今こうなってはいなかっただろうな。

 

早めに子供を作って、若い時間を家庭に奪われて趣味もなにもなさそうな同級生を見て、自分はこうなりたくないなと思っていた。

さて、この歳になったからだろうか。

そんな幸せが羨ましい。

 

私は今でも多趣味でやりたいことが尽きなくてなにも変わっていない。

満足ではあるけれど、そうやって多趣味であることで他社との比較から対象外になろうとしているだけではないだろうか。

ただ、齧り付きたいだけ

ハロー。

変わらない日々よ。

 

例えば明日死ぬとわかっていたら。

今まで知り合った人みんなにありがとうを伝えて、

マリファナを吸って眠るように最期を迎えてたい。

 

自分にとっての幸せの形は30を過ぎた今も見つからず、

使い捨てみたいな娯楽や愛情を啜って一瞬の多幸感だけを抱いている。

1ミリしかない小さな幸せが一生続くような、そんなものを目指そうともせずに、

一瞬でハイになって灰になるようなインスタントばかりを掴んでいる。

 

このままじゃいけないとはわかっていても相変わらずここから抜け出せなくて、

何かを始めるには遅いなんてことは無いとわかっていてもこの沼からは抜け出せなくて。

 

一生このままくすぶっているのだろうなと明確に見えてしまった。

<div>我ハ鉛筆ノ芯齧ル</div>

なかなか到来しない桜前線セミロングの痛みのない髪の毛を揺らさない。

花粉をまとった生ぬるい風が髪の毛に纏わり付き、

湿気なんてなかったはずなのに心做しかベタつく。

 

憂鬱の正体みたいな顔をした灰色の君が枕元でコーヒーを淹れたよと囁く。

僕はまだこの36度から抜け出せない。

 

日常の基盤が固まって、安定した日常に堕ちる時、

それはそれは耳心地の良いベルの様な金属音が鳴り響いた。

ああ、ここはゴールなんだと。

 

これをゴールとしないのならば、物事にゴールなど存在しないのかもしれない。

炭水化物のまほう。

腹が減った。
白米が食いたい。
頭にモヤがかかっている気がする。

 

しかし、続けねばならぬ。

 

これまでダイエットの経験が皆無であり知識が皆無である。鶏肉と野菜ばかり大量に食らっているのだ。
ブタ、ヤサイ、アブラを喰らいたい。
白米に魚卵の塩漬けを乗せ、一心不乱に喰らいたい。

 

沼、と言う減量食がある事を知った。
詳しく調べてみた。
今の空腹状態は解消されるかも知れないが今よりカロリー云々が増えてしまいそうだ。

 

鶏ムネ肉とヤサイが不味い。
フレッシュ野菜の感動は1日目で消え去った。
今はただ、白米が喰いたい。

 

ニク、コメ、ライス、カレー、タラコ、イワシシオヤキ、ニギリズシ、トンコツラーメン、トンカツ、カツドン、タピオカ。
嗚呼、私は今頭が回っていない。

 

夕飯にケンタッキー フライドチキンを二本食らった。
まるで満足感が無い。
ブラックコーヒーを飲めば吐き気がする。
ポカリスエットのプールに沈みたい。
銀河鉄道の夜に、グレープフルーツの月の雫。
喰い散らかした鶏の骨。ガイコツが踊ってる。

ハロー。今君に素晴らしい世界が見えますか。

憂、燦々

2013年か、2014年頃か、確かその頃。

あまり聞かなかった邦楽のロックバンドを教えてもらった。

 

当時私は海外のバンドばかり聞いていて「最近の日本のロックは」と、

20代前半だったのに斜に構えていた。

 

好きなものを好きになろう。

好きなものを増やしていこう。

別に興味ないけれど。

 

そんなことを考えつつ、苦手だった「最近のバンド」を聞いてみた。

 

線が繋がる様に、糸が絡まる様に、日常生活が重なった。

 

ボロのアパートの入り口に立って、何時間そこにいたの?って聞いてみる。

私はそんな小さいものが、もう堪らなく大切なものに思えた。

 

ヘッドホンから流れるいつでも取り出せる一曲には多分、人それぞれの想いがあって死ぬ時までの大切なものなんだろうな。

一昨日からロンリネス

コロナウイルスの感染拡大が顕著になっている昨今。

非常事態宣言が発令され外出自粛が叫ばれている中、私は日々近所のカフェに通っている。

 

昨年12月にパワハラによって退職し、そこから定職に付かず、プログラミングの勉強をしている。

人生最後のやり直しのつもり。

 

しかしながら遂に私も先日30代と言う年齢に達した為か、元々地頭が悪いからか、

なかなか思うように学習に集中できずにいる。

自宅での勉強となればもってのほかでで有り、誘惑に負けてしまうADHDマンなのでアニメを見始めてしまったり小説を読み始めてしまったり、ポーカーを初めてしまったりと自宅で自制心を持って学習などはもうできないのである。

 

今思えば中学生の頃はどうしてあんなにも勉強することができたのだろう。

楽しかったのだろう。

当時私はとてつもなく頭が悪く、5教科のテストで合計80点とか、そのレベルの学力で、

10段階の学力で7の人が8に上がるのは大変だが私は1だったため3〜4レベルまで上がるのは早く、

できるという実感を掴む事ができたから、学習という思う白くないものが楽しく感じていたのだろう。

 

しかしながら、30代に突入したもともと地頭の悪い私がこの期に及んで学習とは些か無謀だったのではと感じるところがあるわけである。

まあそれも言い訳なんだけどね。

贅沢ないいわけ である。

 

逃げ癖の付いてしまったおっさんのリトライ。

なかなかハードだな。

 

自分にも守るべき存在や、大切な存在なんて物があれば頑張れるのかもしれない。

 

他人に無頓着で、人というものはどうせ、嘘を付き必要がなくなれば消えてしまうものと考えてしまうから、なかなか深入りはできないから、ずっとこのまま。

 

でも理想は、なかなか頑張れない自分が頑張る為の理由がほしいと思うし、叶うなら、それが素敵な理由で有って欲しいと思う。

贅沢ないいわけだけれど。

 

そんな贅沢ないいわけができるくらいに満たされたものを願うだけはタダだし、妄想に浸っても良いではないか。

そうすればそれが目標になって、原動力になるのかもしれないから。

(無題)

日常が終わる。変わる。
これまでとは違った方向へ進もうとする時にはいつも、
何かの始まりではなくこれまでの終わりだと感じる。
新しく進む道には希望があると思うからその道を選んだはずなのに
マイナス思考の脳の回路はドーパミンを出してはくれない。


これまでに切り捨てて来た選択肢とか
逃げて来た過去が迫ってくる。


何か奇跡が起きて、過去を全てリセットしてくれる。
そんな奇跡をずっと待っている。
ずっと妄想している。
たぶんこれは社会人になってからの悪い癖だ。


自らの行いが大半で
何かしらのラッキーの要素が重なって、
それら全てが上手く噛み合った時に幸福と呼ばれ、
ラッキーが無かった場合、それを普通と呼ぶ。
素行が悪く、運からも見放された者達は下を向き歩き続ける。
眩しい太陽から目をそらし、地面の汚れを疎ましく思う。


周りを見渡せばとっくにゴールへと片足を伸ばす人達ばかり。
私はようやくスタートラインから半分程度進めた所だ。